72号から

刀剣婦人(四)

相鎚を打つ

福岡幸子
 新聞、テレビ、ネット、雑誌等の情報で色々な情報が飛び交う昨今、吉野の山麓でまた新たな気付きを頂いた。
 七月二十五日、夏盛りの一日。平地とは異なる山間ですが、気温は三〇度は越しているかと思われる一日でした。
 屋外での日本刀鍛錬実演見学は、拝見したことがあるものの、今回の折返し鍛錬は全く別ものでありました。
 過日、河内刀匠が「正宗賞」を受賞されことを記念し、虎屋社長さんのご厚意で本社「虎屋京都ギャラリー」(佳兆六十九号参照)にて個展を開催されました。
 これを御縁に、「虎屋」さんの若い女性社員の方に鍛錬の実演を披露されるということで、幸運ながらも便乗させて頂くことが出来ました。
 猛暑の中、鍛錬場は閉めきった真っ暗な空間、真っ赤に燃えた炭、汗が背中を走る。
 親方の合図でお弟子さんの金田刀匠が鎚を振り上げる。
 背骨、腕が真っ直ぐ天井に向かって持ち上げられる。その一直線上に鎚があり天井にあたりそうだ。
 そこから親方が指示する灼熱に熱せられた塊鉄の芯をめがけて打ち下ろす。
 飛び散る炎、初めて拝見する別の世界の光景、親方が炭の火加減、鉄の沸くタイミングを計ること、そしてお弟子さんの向鎚、人間の五感全てを使い切った空間と時間を感じました。
 折返し鍛錬は強靭になると言われていますが、材料の不純物を取り除き、炭素量を調整するのが目的であると聞かされました。
 私は、緊張した静寂さの中で金属と金属がぶつかりあう音と火の粉を受け、座禅で僧侶に警策で叩かれたようなすがすがしい開放感を味わった。
向って後列右が筆者
 鍛錬場を離れ今度は仕事場で河内刀匠から直に日本刀製作の手順を教わった。
 ここで私はとんでもない無礼をしてしまう。
 刀匠が丁寧に丁寧に説明してくださってる時、話を割って質問をしてしまった。本当に今考えても恥ずかしい限りである。
 普通なら「話を聞け」と怒られて当然である。だが河内刀匠は違う。間を絶妙に合わせ話をしっかり聞いて下さり的確に応えてくださるのだ。
 ここで確信した。折返し鍛錬で親方の掛け声でお弟子さんが親方に合わせて塊鉄の芯を叩いているのですが、本当はそれより何倍か親方の方がお弟子さんの調子に合わせている事を。
 「相槌を打つ」と言う言葉は刀匠と弟子が交互に鉄を鎚で叩くことが語源ですが、昨今では「なるほど」「そうですか」と連発すれば良いと思っている人が殆んどのように思われます。
 現代社会、コンピューター・カーナビゲーション等の普及により便利になればなる程退化しているもの、その一つが人の関わりであるとつくづく思い知らされました。
 「相槌を打つ」とは言葉だけで無く表情、態度を伴う基盤の上で成り立っている。決して「合いの手を入れる」(相手の動作や話の合間に挟む別の動作や言葉)では無い。
 親方と弟子の真剣なやりとりを傍観することによって忘れていた人間の関わりを思い出させてくれました。
 河内刀匠有り難うございました。