68号から

秘伝はない

虎屋 十七代当主
黒川光博
 河内さんと出会ってから二十五年ほどになる。
 日本文化に係わる人たちの業種を越えたネットワーク作りを目的とした「二十一世紀日本文化会議」を数人で立ち上げて数年してからだったと思う。
 当時、私は河内さんを存じ上げず、形通りの挨拶をしたのだろうがよく覚えていない。その後の集まりで、河内さんが会同人の樂吉左衞門さんに「あんたからもらった土、いい土だったよ。」と言っているのを聞いて、内心、そりゃあそうだろう。天下の樂さんの土だもの。このおっつぁんもしかして、楽さんを知らないのかな、と思った記憶がある。河内さんはその土を焼刃土に使用したようだった。
 後に日本で有数の刀匠と知ったが、そのような人なのに、どんな時でもどんな相手にも自分の考えを歯に衣着せずはっきり言う。この人、吉本の芸人さん?と思わせるウイットに満ちた話術と、その含蓄に富んだ話の内容が、どんなきつい言葉であっても相手を納得させてしまう充分な力を持っている。
 ある時彼から、仕事場に来てみないかと誘いを受けた。河内さんの鍛冶場がある吉野は、和菓子づくりに欠かせない葛粉の産地でもある。葛根から澱粉を取り出し繰り返し水に晒して葛粉を精製する作業は、厳寒の時期にのみ行われるが、その視察を兼ね、弊社の若手職人とともに東吉野を訪ねることとした。
 「鍛錬中ですのでお静かにお願いします」という奥様のご案内で入った鍛冶場は、白銀の世界から一変、周囲が布で覆われ真っ暗だ。呼吸をすることさえ憚られるほどの緊迫感の中、聞こえるのはヒュー、ヒューという鞴で火床に風を送る音だけ。
 真っ赤な炎をじっと見つめていた河内さんは、その時を見極めると炎の中から素早く鉄を取り出し、鉄敷にのせる。河内さんの裂帛の気合を受け、お弟子さんが精魂こめた向鎚を振り下ろす。
 静寂を破る凄まじい爆発音、飛び散る火花。
 周囲の布も仕事着も火の粉により穴が開き、河内さんは火傷を負いながらも凛として一歩も引かない。崇高で、神々しいばかりの姿で一心不乱に鉄を打つ気迫に圧倒されながら、私は孤高の職人にただただ見入るばかりだった。比することなどできないが、和菓子作りをしている我々も、魂を込めて作品に向き合う姿勢と情熱を大いに学ばせてもらう時間でもあった。
 その後は更に親交が深まり、三年前、河内さんを熱く語る私の話に興味を持った友人たち、そして家内、社員とともに今度は夏の東吉野を訪ねた。青々と茂る草木と七月の尋常でない暑さを除いて、前回から十年以上経ってはいたが、吉野の風景も、鍛冶場の独特の空気も、そして何にも増して、河内さんの眼差しや気迫は変わることなく、いつもの仕事場で我々を迎えてくれた。
 初めてこの空間に身を置いた友人たちと同様に、私もまた新鮮な気持ちで河内さんの一途な仕事姿を見つめることができた。
 しかしひとたび仕事場を離れると、そこには例の気さくなおっつぁんの河内さんがいる。
 彼の話は何時間でも聞いていたくなるほど面白く、そこで様々な考えにも触れることができる。「自分で作った道具を試したことがないのは私ぐらいのもんやろう。何故って刀は戦いの時、相手をたおし、自分の身を守るためのもの。試すことなんて今の時代出来ないやないか。」 
 私が強く共感するひとつに、「秘伝はない、すべて見せればよい」という言葉がある。河内さんの話が纏められた『仕事は心を叩け』という書籍でも「(略)弟子にすべてを見せています。秘伝なんて言って隠していると自分の仕事がしづらいのです。秘伝という言葉も嫌いです。見せても真似はできないものです。(中略)他人に教えないと自分にもなにも入ってこないでしょう。」と述べている。
 これは、フランスでMOF(国家最優秀職人)の称号を持つ菓子職人から聞いた「業界発展と若手育成のために、我々は寛大でなければならない。伝え、守るべきは文化や誇りであり、技術はオープンにするものだ。」という言葉とも重なる。私も常に思うのは、「何事にもオープンであれ」ということだ。古くから続いている会社は、とかく自分達は正しい、自分達が持っているものは人に教えたくない、という発想に陥りがちなのだが、秘めることよりもどれだけ外に開いていけるかが大切なのだ。そのためには、これまでのやり方に固執せずに、新しいものや異なるものを受け入れる度量、そして、自分たちが持っているものを躊躇なく外に発信していく勇気が欠かせない。河内さんの姿勢や考えに接するにつけ、こうした私の思いと決意を新たにすることができる。
 河内さんに、十月七日から一週間、弊社の京都ギャラリーで日本刀の展示をして頂く。開設して五年、刀を扱うのは初めてで、これまでの掛軸、絵画、写真等とは勝手が異なる。
 ぜひ一人でも多くの方に河内さんの生き様そのものの刀を見て頂きたく、担当の弊社社員は今緊張感とワクワク感を持ちながらその準備にあたっている。

* 今回「正宗賞受賞記念展示会」を(株)虎屋さんのご支援のもと、開催いたします。受賞作品の他十数点の作品を展示いたします。是非ご高覧を、詳細は催事案内をご覧ください。 (編集 記)