66号から

山本兼一さん逝く

國平

 無念、全く無念。
 小説家でこれほど刀のことを理解しようと努力をしてくれた人はこれまでいただろうか、もうこれから先はこれだけの方は出ないかもしれない、私たち刀剣界は全く大切な人を失いました。
 刀剣界だけではない歴史小説家でこれほど取材を綿密にされた方は少ないと言われている。
十年ほど前初めて山本さんから電話をいただき取材の申し込みが有り、私は刀のことを小説にしていただけると引き受けた。
まもなく山本さんは取材の為に来訪されて数日弟子部屋で寝泊まりして真っ黒になって炭切りをされ、玉鋼や古鉄の選別から水へし、手鎚も持ち、向鎚も握り、焼き刃のための土置きをされたりと出来る限りの体験をされ、多くの質問をされた。私は山本さんと意気投合した。
 それは後に小説「いっしん虎徹」となり「俺は清麿」となった。
 そして、「仕事は心を叩け」 と本にしてくださった。
 「いっしん虎徹」は、嬉しくも題字も書かせてくださったり初稿に仕事の順序等の校閲を頼まれた。
職人が好きだとおっしゃった山本さんの仕事場での取材風景が懐かしく思い出される。
 私が銀座で個展を開催したときトークショウも上京され快く引き受けてくださった。
 「火天の城」が映画化され最近は直木賞受賞の「利休にたずねよ」も映画化された。いろいろと大変お世話になった。五十七歳は早すぎるがお別れはしなければならない。

安らかにお眠りください。   合掌