61号から

新年特別寄稿

「日本刀について考えていること、國平鍛刀場訪問で感じたこと」

日本美術刀剣保存協会大阪支部常任理事
江川 宏

〝あなたの趣味は?〟と聞かれた時、〝日本刀の鑑賞です、〟と答えると少し驚いた様な反応が返ってくることが多い。これは日本刀がそれ程我々の日常生活の感覚から縁遠いものとなってしまった事を示している。
 明治の廃刀令は勿論、敗戦により士族が廃され、進駐軍の占領政策によって刀剣が徹底的に排除された結果であろう。さらにチャンバラ映画などの印象から刀剣=刃物=怖いものとの単純な認識を持つ人さえいる。
 しかし日本刀は確かに武器ではあるが、一方世界で最も優れた美術品の一つである。鍛えられた鉄の美しさは比類なきものであり、同時に所持者自身の矜持を示すものである。したがって信仰の対象ともなり、宝刀になり、武士の表道具として大切に扱われてきた。鉄製品にもかかわらず、現に平安時代に作られた名刀が錆一つなく、健全に燦然と存在する。これは刀剣が単なる道具でなく、一振一振に先人達が何代にも亘り如何に大切に護ってきたかの証である。因みに刀剣は国宝に一〇六件、重要文化財に六一六件、重要美術品に約一〇〇〇件指定されており、他分野の文化財指定物件に比較して圧倒的に多い。しかも未指定の健全な刀剣がさらに数万点存在するのである。
 日本刀の美術品としての所以はその姿と地鉄と刃文にある。反り具合や切先の形は製作時代を表し、地鉄から主な製作地を推定し、刃文で製作者の流派や個人の特徴を示している。典型作では時代は勿論、多数の刀工の内から作者の個名を推定することが出来る。これを楽しむのが刀剣鑑定である。
 一流の博物館では数多くの名刀が展示されている。しかし各刀剣の美しさを充分に鑑賞する為の照明等が完備している施設は残念乍ら多くない。折角の名品も刃文が真暗で全く判らぬ状態の場合もある。その上学芸員の中にも刀剣は専門外だとして観客へのアピール意欲が高くない人がいる。これでは観客は折角の展示ケースの前を素通りする事になる。
 我々は日頃「目貫通り」、「切羽詰る」、「つけ焼刃」、「相槌をうつ」など等よく使っているが、これらは皆刀剣用語から派生した言葉である。この事は以前我々の日常生活に刀剣が密接に係わっていたことを示している。
 さらに現在刀剣に関する一般常識であまり理解されていない事も多い。例えば刀剣の所持は難しいのではとの質問を受けることがあるが、都道府県教育委員会発行の登録証の付いた刀剣であれば、所持も売買も全く問題ない。また手入が大変であろうとの危惧を聞くが、正しく扱えば簡単に錆びたりはしない。
 伝統の美術品を保存し、さらに後世に継承する為には職方も愛好者も、もっと啓蒙活動を高め、戦後からの風潮を払拭し、改めなければならない。刀剣と銃砲類とを一緒に管理する〝銃刀法〟も改める必要があると考える。
 忙中の閑、美術愛好家の仲間と久しぶりに奥吉野の河内國平刀匠の鍛刀場を訪問した。仲間の婦人達は陶芸、漆芸、茶道等への造詣は深いが、刀剣に関しては正に初心者である。唯さすが刀剣の美しさについては素早く理解して、その魅力にとりつかれてきた人達である。まずは鍛刀場に入ると國平氏は既に火床の脇に坐っている。闇の中真赤に熱せられた鋼に気合と共に鉄鎚が打ち降ろされて火花が飛び散る。神々しい迄の迫力である。一方土置場では息をつめるほどの静の世界である。さて仕事が一段落後は一転して軽妙で楽しい話題となる。動と静、緩急自在の対比に一同すっかり魅了された。話題は全て作刀の事、いつも乍ら前向で謙虚である。そして宮入行平師の事。この師を得た國平さんは幸せだが、この弟子を持った宮入師も幸せだとつくづく思った。同夜一番弟子の高見國一刀匠にも会った。彼が住込み弟子の時から知っているが、優秀な刀工となった現在も謙虚さと真摯の態度は変わらない。斯くの如く國平師の下から近年六名の刀工が立派に巣立ち、七番目の人も順調に育っている。
 二日目は國平師所蔵の刀剣を中心の鑑賞会となり、地鉄の妙や刃の明るさ、映りなど刀剣談義で楽しんだ。応接室にはアクリル製の展示ケースに作品が展示されていた。これは銀座のギャラリーでも好評だった装置で、地鉄も刃文も非常に鮮明に鑑賞できる。採光はLEDで経済的だし、錆も発生しにくい由である。この装置は各所の刀剣展示室に是非設置して欲しい。刀剣の美しさを数多くの人々に理解してもらうのに大きな力となると思う。
 最後にお世話になったあや子夫人のこと。國平さんが銘切りの際の刀身のささえ手は夫人が第一と云う。右腕とか一豊の妻などと他人は色々云うが、親方最大の理解者で且つ最高の批評家でもあることを今回も実感した。
 この二日間我々一同に充実し、有意義な時間を頂き感謝致します。