60号から

ていねいに生きる

映画作家 河瀬直美
 夏の初め、東吉野村にでかけた。
 長年この、村でただひたすら刀鍛冶に命をかけている方がおられるということで、以前から逢いたいと思いながら、逢えなかった河内國平さんにやっと会うご縁をいただいた。迎えてくださったのは素顔の美しい奥様で、ああ、こんな女性になりたい、と直感的に憧れた。
 日本刀の説明をしてくださった際の言葉の使い方、ものごし、そこには旦那様を尊敬し、刀鍛冶の妻としての姿勢をわきまえていらっしゃる生き方が垣間見える。近頃の女性にはなかなかできない所作である。
 その日は特別に撮影の許可をいただいて、その神聖なる仕事場へ一歩足を踏み入れる。と、赤々と燃える炭の炎がまず目についた。その奥に炎の揺らぎを見つめる男性がひとり、少し距離をおいて向かい合うようにして炭を切っている男性がひとり。
 部屋は暗く、明るい外に目の慣れていたわたしは、肌でその場の感覚をなんとかつかもうと立ち尽くす。静かに静かにその炎の揺れを乱さぬよう、炎の先の男性の表情を見たくて、しゃがみ込む。と、奥様がそっとわたしに近づいて「火が飛びますから、しゃがまないで」と忠告してくださった。それでも、その男性の表情を見たいわたしは頑固にも少し腰を落とした姿勢をしばらく保っていたが、「本当に危ないですから」とはっきりした口調で言われる奥様に小さく頷いて立ち上がる。
 ほどなくすると、男性の緊張が増し、「いくぞ、いくぞ」と自らを奮い立たせるように言葉を発しはじめた。その言葉を合図にして、炭を切っていた若い男性が炎を司る男の正面に身を構える。
 二人の間にさっと、鉄が炎から飛び出し、若い方の男性が大きく振りかざしてハンマーのようなものをその真っ赤な鉄に叩きつける。「芯や、芯を外すな」どすの利いた声が飛ぶ。次の瞬間「バチッ」と大きな音がして、火花が部屋中に飛び散った。思わず「ひっ」と声を上げてしまったわたし。それはほんの一瞬の神に司られた出来事のようだった。
 「破邪」と書かれた文字の前で揺らめく炎に「魂」が宿っている。こうして生まれる日本刀の美しさ。そこには一寸の狂いもない、職人の誇りと神の加護がこもっているようだ。
 中でもわたしの心を惹きつけたのは女が嫁ぐときに親から贈られる短刀である。まっすぐで、返りのない切先の刃文を見つめていると、日本人の真っ直ぐな心の有り様がカタチとなって現れ、そこにある、ということに意味もなく感動する。嫁ぐとは、そうして行われるまっすぐな行為。親は娘にその覚悟をもって夫の家に入れと送り出す。そういう意味では婚礼の時に流す涙の意味が今とは全く違うのだ。
 ひととおりの仕事を終えられた河内さんは、二階の仕事場へとわたしを案内してくれた。
 炎と一体になっていた河内さんの気迫。どんな人間も炎と河内さんの間には入ることができない、その神聖な領域。しかし仕事を終えた河内さんは、笑うととてもやさしい表情をして親しげにお話しをしてくださる。生きる上で大切なことはなんですかね、の質問に「ていねい」と一言。これには、すべてを納得させられ、今の自分への戒めにもなった。多くの仕事を重ねていてもそのひとつひとつを本当に「ていねい」に成し遂げているのかどうか、疑わしいところがある。その気はあっても、実際を見れば河内さんのように生きてはいないだろう。
 人間国宝にもなられるだろう刀鍛冶の男は、東吉野という場所だったから、仕事に集中できたと言う。情報の多い場所、人の多い場所では、こうはならなかったであろうと。
 その実直で孤独な仕事は「ていねい」さゆえの賜物となって、この世界にふたつとない日本刀のカタチを成す。
 また、今の日本人が忘れてしまっていることはなんですかの質問には、「徒弟制」とはっきり述べられた。自身の師である宮入昭平さんに、技術もさることながら、生き方を学んだのだという。家庭の作り方、子供の育て方など、刀鍛冶には必要のないことではあるが、それ以上に大切な「人間」としての立ち振る舞いを学んだのだ。
 日本はどうしてこんな大切な仕組みを失ってしまったのだろう。辛抱をせず、目先の欲に走り、それを充たす社会の構造があり、つながりよりも、個人の自由を主張して当たり前の世の中になってしまった。師は弟子に技術のすべてを与えることはできるが、それ以上の生き方を与えることはできない。それは、師の行いを身近で見ながら自らの生き様を通して学んでゆかなければならないからだ。
 すべては自分次第。
 ああ、日本にはかつて本物の師が存在し、そして師弟関係は日本人としての誇りの継承だったのだと知り、失うものの大きさを知る。
 現在日本刀の本来の役割、人を斬ることはできないが、腰に携えた刀は、その人の価値そのものだったのだと思う。日本刀を思い、刀鍛冶の姿勢、生き様を学び、日本人としての誇りを持って生きていきたいと心に刻んだ。

河瀨直美(KAWASE NAOMI)
映画作家 奈良市生。『かたつもり』(九五)山形国際ドキュメンタリー映画祭国際批評家連盟賞受賞。『萌の朱雀』(九六)  カンヌ国際映画祭新人監督賞受賞『殯の森』(〇七)同映画祭にてグランプリ受賞。
第二回『なら国際映画祭』のエグゼクティブディレクター。