佳兆
(かちょう)
33号から
國 平
古代刀復元展覧会と石上神宮七支刀
奈良県天理市に石上神宮が鎮座する。この神宮にはそこに不思議な形をした宝剣が伝世している。
それには数々の特異な点があり幾多の学者の興味を集め研究対象となった。その特長の一つは金象嵌の六十一文字が刻まれていることである。そのためにこれは考古学上第一級の資料とされている。そして、学者たちの研究は多くその地鉄にも触れてはいるが、机上の論の域を出ていない。そしてその金象嵌の中の「百錬」と「刀」いう文字の為に日本刀と同じ鍛錬を想定して鍛鉄とされている。
私は二十五年ほど前、恩師末永雅雄先生の指導でこれを復元したが、その過程でこれは鍛鉄(火造り)ではないと感じた。と同時にこの形は鋳造ではないかと考えた。
それから昨年まで私の頭の中でこのことが離れず、天田昭次さんや月山貞一さんなどが作れるたびに私は悶々とし、橿原考古学研究所附属博物館での展覧の時も、また一昨年の奈良国立博物館での「七支刀と石上神宮の神宝展」にも足を運んでなんども七支刀を観察した。
しかしいずれもガラス越しでよく観察できなかったが、いつかきっと手にとって見たいとその想いは今も募るばかりである。
今年二月二十五日(土)から三月二十六日(日)の約一ヶ月間、私の長い間の古代刀剣復元元刀と七支刀を含めて奈良県橿原考古学研究所付属博物館で展覧会を開催して下さる事となり、また、私の頭の中はこれまでの七支刀への想いが膨らんだ。
それは工芸文化研究所理事長鈴木勉さんが私の七支刀鋳造説に興味を示して下さり「河内さん鋳造してみよう」とおっしゃって東大阪市の釜師濱田興七さん父子も協力して下さり東京都立産業技術研究所の佐藤健二さんや彫金の松林正徳さんも加わって動き出した。
そして私たちの実験の全てにNHKハイビジョンビデオもまわりだした。
私は皮肉にもまず鋳造の証明のために鍛造の困難な事を証明しなければならなくなった。そのために出来る限りの方法を考え道具を工夫して再度七支刀の鍛造を始めた。その一方で鋳造実験も進み、我々はいろいろな事実も発見した。しかし、鋳造に素人の私は鋳造もまたそう簡単ではないということも思い知らされた。この七支刀の鍛造説と鋳造説の実験はその地鉄の解明により、そのことが解るのみでなく七支刀の起源や歴史的意義など三〜四世紀の中国、朝鮮、日本の鉄文化、政治、経済などの解明にもつながるであろう。しかし、展覧会までに何も解明できずに成果は皆無と成るかも知れないが、是非御笑覧いただきご指導を賜りたい。
そして将来の研究にご支援頂ければ幸甚である。