佳兆(かちょう)
  19号から
石田四郎國壽(しろうくにひさ)刀匠の火入式に出席して」
 
埼玉県 福川 直
   
  この度、機会を得て石田四郎國壽刀匠の鍛刀場開き・火入れ式に出席した。
國壽刀匠は隣県群馬県富岡市生まれで、生家に鍛刀場を建て独立された。
そもそも國壽刀匠との縁は師匠であられる河内國平氏との縁である。河内氏とは学生時代(関西大学・法学部)学部も同じ、クラブも同じ、同じ釜の飯を食った仲、卒業を間近に控えたある日「俺、宮入昭平に弟子入りする」といって周囲をビックリさせたものである。
時がたち、その河内氏が東吉野に鍛刀場を開かれた由を知ったが、私は卒業してまもなく、上京して埼玉県暮らしとなった。
そんな事もあって、河内國平氏のお弟子さんがこちらで鍛刀場を開かれると聞き、これも何かの縁と参加をさせていただいた次第である。聞くところによりますと群馬県で四人目の刀匠とか。

新緑の美しい5月、妻を誘い、丹生郡に出かけた。
火入れ式は一時からと言うことで、十分前に到着、たくさんの花輪と人手に迎えられた。群馬県四人目のとなる刀匠の勇士を一目見んものと、テレビ、新聞等のマスコミをはじめ大勢の人がお祝いに駆けつけた。おかげで、私達は火入れ式を場外モニターで見ることになった。

鍛刀場開きを何故、火入れ式と呼ぶのだろうか?
まずこの疑問が湧いたが、式が始まるとスグに納得する事が出来た。鉄を焼く炉に火を入れる方法は古来から鉄の摩擦を利用して火を入れる、鏃−セン−(軸を転じて物を切る道具)を使って火をおこすことは知っているものの、鉄を鎚でたたき、その摩擦熱で火をおこすことは、刀つくりの第一歩に相応しい火入れである。鎚打ちによって、火床に火が入った瞬間には思わず手をたたいてしまった。

いよいよ、刀作りの始まりである。手鎚を國壽刀匠が取り、向こう鎚は河内氏の内弟子三人、その他、炉の火を守る係りが二名、河内氏の丁寧なる解説で始まる。
鞴の音が心地よくかすかに聞こえ、炭の山が炎と変わる。炭の中から真っ赤な鋼が現れる、それを、向こう鎚がしなやかに、かつ力強く打ち下ろされる。そして、手鎚でもって形が整えられていく、まさしく、鉄と炎の芸術を見ているようだ。
刀剣制作は、それを幾度となく繰り返し、鉄の純度を高めていくため、想像をはるかに越える荒々しく、厳しい鍛練が要求される。
そして、あの何ともいえない反りを持った短刀に姿をかえていく。トンテンカン、トンテンカン、単調な鎚音が響き、打ち手の気迫がそのまま、その魂として鉄に封じ込められていくような気がした。
来客の中には、鉄鋼学では日本の権威と聞く、早稲田大学名誉教授・草川隆次氏がおられた、國平氏の鍛治の守護神「天目一箇命」(あまのまひとつのみこと)についての説明を学生のような態度で、聞いておられたのは、さすが高名な学者と関心させられた。
その先生の挨拶の言葉の中で「師匠は博士、弟子が独立したのだから教授だよ!」の励ましの言葉に又感心させられた。私もささやかながら「國壽、ガンバレ」と小さなエールを送ります。

火入れ式も無事終了、近くの「丹生神社」の境内で「直会」が行われた。私の出番はないものと高を括っていたが、「鏡開き」に加えていただいた。
その席上でも、多くの来賓が紹介され、挨拶された。
その中には、NHKなどでおなじみの「宮大工」小川三夫氏がお忙しい中駆けつけていただき、挨拶の中で、寺院の軒の反りは木と鉄の違いはあるものの「ともに自然発生的なもので、魅力が尽きない」と含蓄のあるお話を聞かせていただいた。
さすが名人の話である。その他、会場には富岡市市長・今井清二郎氏、を始め、地元有力者、東京芸術大学教授・三田村有純ご夫婦、作家・塩野米松氏、橿原考古学研究所・鈴木勉氏、刀職関係者から、多士済々の方々出席者で総勢百四十名を超える大盛況であった。